引き算の美学 「和食」(会長コラムより)

和食の和食たるゆえんは、出汁(だし)にあると言われる。

 

出汁の美味しさは「うま味」、そして香り(風味)であり、『味付け』とは違う。

調味ではつけられない「うま味」が素材を引き立たせてくれ、作りものではない「風味」が食欲を誘う。

だから美味しい出汁がとれていれば、味付けは控えめでも十分満足できる深い味わいが楽しめる。

欧米の料理は、ソースを作り、素材にたっぷりとかけていく。素材の不味さを補うために生まれた調理方法という側面もあり(もちろん、例外もあるが)、「足し算の料理法」と言えるかもしれない。

それに対して和食の一つの特徴は、素材から、苦味やえぐみ、臭みなど余計な物を取り除き、素材本来が持つ旨さを際立たせる「引き算の料理」といえる。

 

先般、某有名旅館の総調理長と話をする機会があった。

恥ずかしながら、その時初めて知ったことがある。

…世間一般に言われている吸物や煮物等の『灰汁取り』(あく取り)は、和食業界では『灰汁引き』(あく引き)と言うらしい。魚の生臭みを取り除くのは「湯引き」と言う。

『出汁』も同じで、調理工程で余分な物を取り除く。

普通の乾物(昆布・干し椎茸)や魚介類(両生類・貝類を含む)では灰汁を取るだけなので、その場合は普段『出汁を取る』と言うが、一部の食材(鰹節、煮干し等)では灰汁取りだけでは使用できない。

その後『漉す』(こす)作業が必要となる。

この様な場合は、一連の作業を総称して『出汁を引く』と言っている…とのことだった。

 

和食の出汁は「取る」ものだと思っていた。「目から鱗」、引き算の世界が現存していた。

洋食は食材に様々な味を加えて完成させる「足し算」。

一方和食は、食材の一番美味しいときに最小限の手を加えるだけ。

調理手法に隠れる「引く」という言葉、洋食の足し算との違いを歴然と表わす「引き算の文化」である。

 

「引き算の文化」とは、算数の引き算ではなく、削ぎ落とす文化の事で、「和食」に限らず日本人が大切にしてきた大きな遺産である。

西洋建築では足し算で、いかに大きく豪華に見せるか、そのため、お金をかけて物量を投入する。つまりどんどん華美を求める。日本の和室は、余計なものは極力省き、本質である一点に集中する。

「短歌」は31文字、世界で最も短い詩形である「俳句」は17文字だ。

この短い文中で、自分の想いを伝えるので必要な言葉以外は、削ぎ落としているのだ。

「生け花」の世界でも、一つのものを愛でるのに余計なものはいらない。

むしろ、その『余白』の部分があることで、一点の美を強調することができる」としている。

どこまでも簡略化し、余白を生かそうとする「枯山水」も、「茶道」の『侘び』『寂び』などの思想も、その典型だろう。ゴテゴテと付け足さない、飾らない、引き算の美学といえるのである。

 

「余白を察し、言葉の周辺にあるもの、実態の背後にあるもの、見えないものを感受すること。自己と自然を一体化、同じ身の丈になり、自然や他の命を尊ぶこと」(水墨画家 森川翠水著『余白の力』二玄社刊より)…これこそが、古来より日本人が大切にしてきた、世界に誇るべき「引き算の美学」なのである!