豊かな暮らしは税金から

 百円のノートを買い、百八円を支払う。

 私は今、漠然と支払ったこの八円という税金が、とてつもなく大切で、大事な役割を果たしてくれていることを改めて知る事になる。

 私の誕生日になると、決まって母は、

「あの時は、本当に嬉しかったなあ・・・。」

から始まる話がある。それは、私が産まれて一か月の頃、神奈川県に里帰りしていた母の実家に一本の電話がかかってきた。生後二十八日以内の新生児と産婦を対象に、保健士さんが新生児の発育や、産婦の体調を確認したり、相談にのってくれるという内容だった。初めての出産、そして慣れない育児に落ち込みそうになっていた時、新発田市の健康推進課の方が母の実家近くの保健士さんに依頼して訪問して下さったそうだ。いろんな話を聞いて頂き、アドバイスを受け、とても元気づけられたと昨日の事のように話す。このように、すべての人が平等に受けられる公共のサービスは、税金でまかなわれていると知った。

 他にはどんな所に税金が使われているのだろうか。ふと、新発田市の「くらしの便利帳」を開いて見ると、公共施設や教育、緊急災害、高齢者の方へのサービス、そして医療など、数えきれないほどの行政サービス情報が載っていた。税金は、私たちに住み良い暮らしと安心・安全を提供し、母のように心のサポートまでしてくれる力を持っている。

 もし、学校がなかったら、教科書がなかったら、ゴミの収集車、除雪車が来なかったら、公園の花が枯れたままだったら…想像するだけでも身震いがする。

 ノートの代金を支払った時、少なくなった財布の中を見て、(八%は大きいなあ。)と目先の損益だけに執着していた自分が、恥ずかしく思えてきた。私が送っている幸せな暮らしは税金に与えられている、といっても過言ではない。

 これから先、父と母が年老いた時、私が親になった時も今と変わらない快適で健康な生活がおくれていることを強く願いたい。納税は、「未来の豊かな日本」というひとつの大きな貯金箱に、みんなでお金を納めるという意識ではどうだろうか。税金は払うもの、ではなく納めるものという気持ちを心がけていかなくてはならないと思う。

 そして、今の私にできること。それは「公共」のものを大切にすることだ。中学校の入学式の日に担任の先生が、この二文字を大きく黒板に書き、

「公共のものは、個々のものではない。大切にすることを忘れてはいけない。」

と話をされた。公共と税金は、深い関係をもつ。公共を大切にすることは、税金を大切にすることと同じだ。

 私が、社会人になり、納税する時がきたら税金について省みた事を忘れず、感謝しながら税金を納めたい。