日本で当たり前のことが

 「日本は税金が高くて。」

と近所に住んでいるパキスタン人のアリさん。ある日、我が家の前を通りかかったアリさんが、車の掃除をしていた母と私に話しかけてきた。「こんにちは」のあいさつから、「いいお天気ですね」ご近所さんのお決まりの会話から、車の話、そして自動車税の話になった。その時の一言である。しかし、アリさんの言葉や表情には、日本での生活に対する不平不満は感じられなかった。

 数年前にアリさんは仕事で、腕に大けがを負った。手術をしても、治りが悪く、入退院を繰り返していた。その時も、思ったほど医療費がかからず、安心して治療に専念できたそうだ。アリさんの娘、ラニヤちゃんは、小学校三年生の時にお母さんと一緒にお父さんのもとに引っ越してきた。私とラーちゃんは同級生で、一緒に小学校に通っていた。転向してきた初日、何も持たずに席に座ったラーちゃんにも、すぐに教科書が配布された。

「外国の人たちや子供たちも、私たちと同じように治療が受けられたり、学校で勉強したりできるんだ。」と意識するきっかけとなった。

 難しい勉強にも弱音をはかないラーちゃんから、日本での当たり前が、世界から見ると、とても恵まれていることも教えてもらった。彼女の出身国、パキスタンでは識字率が約六割、小学校の卒業まで在学する率さらに、女性の識字率も在学率も、男性に比べて一割以上低いこと。のちに、パキスタンで女性が教育を受ける権利を訴える運動を行ってきたマララ・ユスフザイさんが、史上最年少の十七歳でノーベル平和賞を受賞したニュースを聞いた。国連本部でのマララさんのスピーチとラーちゃんの言葉が重なって胸に響いた。日本では子どもが教育を受けることや女の子が教育を受けることが当たり前だが、世界ではその当たり前のために、命をかけている少女がいることに、衝撃を受けた。ラーちゃんは、恵まれた日本で一生懸命に勉強して、将来は教育に関する仕事に就きたいと言っていた。

 医療の面でも教育の面でも、豊かで安心した生活が送れる日本の良さを、外国の友達に教えてもらった。そして、改めて税のありがたみを知ることができた。税は、私たちの健康や安全な生活を守るため、暮らしやすい環境を整えるためのものであり、私たちの日常生活の中で、欠かせないものである。それらが理解できれば、「税金が高くて。」という言葉の中に、不満は含まれていないことが分かる。「義務としての納税」という気持ちではなく、「恩恵を受けるための納税」と考えればよいのではないだろうか。さらに、高く感じられる税金も、私たちの当たり前の生活を維持するために「国や市町村に貯金している」と見なせば、税に対するイメージも変わってくると思う。