私は「税」というものについてよく知らない。どんな税があるかといえばいくつかあげられるがそれがどのようなものかは分からないし、今まで考えたこともなかった。だが身のまわりには税がたくさんあると私は知ったのだ。
例にだすと図書館の本も税金で買っていただいているものだが、本一冊は自分で買えない額ではない。しかし私達が利用させてもらっている道路も学校もとても個人のお金では買うことができない。一家庭で払っている税金では信号の電球一つも買えない。とても高価なのだ。また、税金という形で皆が少しずつお金を出しあい、誰もが図書館や道路の恩恵に浴することができているのだ。税金は優れたシステムだと思った。
しかし、それなのに大人が税金を「とられる」という言い方をするのはなぜか。まるで税金を払うのが損だとでもいうかのように。
私はある一人のお年寄りからこんなことを聞いた。「年をとって税金を払えることが有難い」と言っていた。「自分はまだ誰かの役にたてている。そのことに喜びを感じる」と。若い頃は税金を「とられる、払わされる」感覚だったが年を重ねて考えが変ったそうだ。
私はこれを聞いて何か手がかりをもらったような気がした。税金を払うこと、それはすなわち誰かのために役に立てている証でもあるのだ。それはめぐりめぐって自分にきっと返ってくるだろう。目の前の損得を越えて、助け合いながら成り立つ社会、それを芯として支えているのが税金だったのだと私は考えた。
税金を払えるということに対して自然と感謝が湧く。これが本来のあり方なのかもしれない。それがもし当たり前の姿になったらどんなに住み心地のいい社会になるだろうか。きっと世界が真似したがるだろう。
これからの日本は国民が嬉々として税金を払う、お互いへの尊敬にあふれた社会になってほしい。こんなことを消費税があがって文句言っていた私が言うのもなんだが。
そのためにはまず国民一人一人が税金が「皆に恩恵を与える」ということをぼんやりじゃなくはっきり理解することが大切だ。私のように中三まで何も知らないというのではなく小さいうちから教えていく必要があると思う。自分が「助け合って生きる社会」の一人であることがわかった子どもはきっと公共のものを大切にする人に育つだろう。そんな人であふれる、税も大切にする社会をつくりたい。