七歳の時、私は「盲腸」になった。その時アメリカのワシントンDCに住んでいた私はあまりの腹痛で救急病院へ向かった。診療を受けると膿が飛び散っていることが分かり、急いで手術をしなくてはならなかった。しかし、手術を受けるには車で三十分程の大きな病院に行かなくてはならない。でも、日本と違って救急車に乗るには多額のお金がかかる。父は「乗る」「乗らない」を医師と相談し、結局救急車に乗った。その後は、全身麻酔を伴う手術を二回受けたにも関わらず一か月ほどで退院できるぐらいに私は回復していった。
では、なぜ日本では無料の救急車がアメリカでは有料なのか。
日本では、救急車は県や市に納めた住民税などの税金で運用されている。だから「一一九番」で来てくれる。また日本には社会保障制度がある。私達が治療を受け、医療費を払う方法として、保険・自己負担・そして「国庫金」がある。この国庫金というものは国の財政から出ている国民の税金だ。つまり、私達の納めた税金は人の命も救えるのだ。
一方でアメリカでは、まだ社会保障制度ができ上がっていない。つまり、医療費の支払い方法に「国庫」がないのだ。その背景としてアメリカでは集めた税金を軍事費用などに使っているということがある。また、アメリカでは貧富の差がとても激しい。きちんと保険料を払っている人には病気になったら保険がおりるが、保険料が高くて保険に入れない人が病気になると多額の治療費は大きな負担になってしまう。ここから分かるようにアメリカでの救急車は「一一九番」をおしたらすぐに駆けつけてくれるような身近な存在ではないのだ。
私が六年生の時に、税金に関する授業を受けたことがあった。税金がどのような役割を果たしているのか、税金のない世界はどうなってしまうのか、など色々なことを学んだ。なかでも特に印象に残っているのが一億円を持った時の感覚だ。一万円の千倍が一億円でゼロが八つもつく。それぐらいにしか思っていなかった一億円は偽物だったがとても重かった。しかし、私たちが納めている税金は約五十兆円。一億円の五千倍になる。つまり、五千倍重くなるのだ。でも、これはお札だけの重さではない。税金を納めた人の「こうして欲しい」「こうなったらいいな」という期待や思いが入っているから、より重くなるのだ。
高い税金と保険料はきちんと払う代わりに国民を手厚くサポートしてくれるのと、税金はあまり高くない代わりに全てを自分で負担しなくてはならないのと。どちらが良いのかは簡単に決めることはできないと思う。
しかし、私は大人になったらたくさんの思いを込めて税金を納めたい。一円や二円が一億円や一兆円ぐらいの重さになればいい。そして、そのお金で1人でも多くの命を救えたらもっといい。