私達が「当たり前」に過ごしている日常。何が「当たり前」なのか。
水道から出てくる水が飲めて、地下鉄が走り、道路に信号があって、おまわりさんが犯罪を防ぐ。そんな日本の常識は、本当に当たり前なのか。
先日、市の海外派遣でフィリピンに行った。フィリピンで出会ったバスガイドさんに、フィリピンの税制について聞くと、
「フィリピンは、消費税が十二%と高いんだ。それは、最近になって観光客が増えてきたけど、まだ国が貧乏だからなんだよ。」
と教えてくれた。確かにフィリピンでは、交通渋滞が多く、水道水は飲めない。
最近、オリンピックで話題だが、オリンピックが開催された「リオデジャネイロ」でも、警察の給料が支払われないために仕事をボイコットしている様子が報道された。
なぜ日本の「当たり前」が海外では通用しないのだろうか。一つの要因として、日本とフィリピン、リオデジャネイロでは、税制、そして税金の使い方が違うからではないかと思う。
消費税の違いを見てみると、日本八%、フィリピン十二%、ブラジル十七%と日本が圧倒的に少ないのがわかる。それなのに、生活に差がでてしまう。ガイドさんから聞いた話だと、フィリピンは少し前までとても貧しく、急な経済成長で都市問題の解決に税金を多く使っているそうだ。それでもインフラ整備にはまだ間に合っていない。その点で日本はとても恵まれている。日本では、水道から出てくる水は飲めるし、必要な所に信号がある。それは日本の経済が比較的豊かであり、税金が国民のために使われているからである。
では、もし税金が無くなったらどうなるのだろうか。税金が無くなると、火事になっても消防車が来なかったり、急病人がいても救急車が来なかったり、学校での教育も成り立たない。私達が守られ、保護された生活が送れなくなってしまうのだ。私は、今まで税に興味がなかったが、税制の違う外国に行き、日本の生活習慣とは違う体験をして、理解ができた。私達の考える「当たり前」の生活を支えているのは、私達の税金であり、その使い方しだいで国が、私達の未来が大きく変わってしまうのだと。こんな大事な事なのに、今までの僕を含め、税金について興味がない人が多いのは、とても悲しい事である。私達がしている「当たり前」のくらしは、本当は「当たり前」なんかじゃなく、先人達の努力の恩恵を受けているにすぎないのだ。私達はそれを未来につなげていかなくてはならない。みんなで考えて、税金を正しく使わなければならないのだ。
私達の「当たり前」の生活を守るために、未来の子供たちにつなげるために。