今、新たに願うこと

 三月十一日、私は宮城県にいた。実際に津波の被害を受けたわけではないが、停電や断水など、いずれもライフラインが断たれたのは確かであった。

 その時、私たちを救ってくれたのは、自衛隊であった。水や食物の支援、避難所では防寒のための毛布の貸し出しなど、実に様々な場面で私たちを援助してくれた。毎日給水車が来てくれたおかげで私は、数日ぶりにシャワーを浴びることもできた。私はそんな自衛隊にただただ感謝していた。彼らの中にはきっと大切な人が震災に巻き込まれている人もいただろう。それでも私たちの生活面だけではなく、心にも安心を届けてくれたのだ。彼らの背中は本当にかっこいいものだった。

 その後、ライフラインが戻ってからも、自衛隊は活躍していた。ラジオでもテレビでも、人命救助や避難所への支援の様子が流れていた。それはきっと過酷な物であっただろ。

 四年前の出来事であったにせよ、あの光景は今も私の胸の中にある。そして今、私は新たな視点でそれについて考えていた。それは「税」である。

 安全な道路や安心して頼ることのできる医療機関等、公共のサービス・施設はすべて税金によって運営されている。そしてそれは自衛隊も同じである。それを知ったとき、私は改めて災害のこと、そして「税」について考えはじめた。そう、四年前、そして今も被災地を支援し続けている自衛隊は、税金を払っている全ての人によって支えられている。それはすなわち、間接的ではあるが納税の義務を果たしている人々の手によって私たち被災者が救われたと言っても良いのではないだろうか。

 だが一方で、その重要な義務を果たすことなく着服しみっともなく警察に追求される大人、人が大変な思いをして払ったであろう税金を、よく考えずに使う大人がいるのも確かであり、それは実に情けなく悲しいことである。私はそんな大人になどなりたくないと思っている。

 私はまだその立場にないので、義務を果たすことの真の重要さや辛さはよく分からない。私が大人になった頃にはもう「税」に対する考え方が変わってしまっているかも知れない。だが私は今のこの考えを忘れず、国民として立派に義務を果たしたいと思う。きっと遠いことではないだろう。いつかその場面が訪れたとき、私の払う税金で少しでも多くの人間が助かれば良いと、四年前のかっこいい背中に少しでも近づくことができれば良いと、今、新たに願っている。