おかえり、エアコン

 「今日も暑いなあ。」

 朝、教室に入ってきた担任の先生がそう言ってエアコンをつけた。私が住んでいる群馬県太田市は、日本でとても暑い市として知られる館林市の近くにあり、夏になると連日猛烈な暑さと戦っていた。暑い教室の中、汗を流しながら先生の話を聞き、ノートをとる。私が中学生になって初めての夏まではそうだった。だが、その年の冬休み中に行われた工事によって、各クラスの教室にはエアコンが設置された。そのおかげで今年もとても涼しく快適な環境で授業を受けることができている。先日、母が私に、

「学校の教室ってクーラーつけてくれるんでしょ。」

と聞いていたので、私は、

「うん、そうだよ。」

と答えた。すると母は次にこう言った。

「税金のおかげで涼しい教室で授業ができるんだから、ちゃんと先生の話を聞きなさいよ。」

母にとっては何気ない一言だったかもしれない。しかし、この言葉は私の税金に対する見方を変えた。

 消費税が八パーセントに引き上げられてから、買い物で支払う金額が高くなったことをきっかけに、私の中での税金という存在は悪者でしかなかった。だが、あの快適な空間が税金によってつくられたものなのだとあの時の母の言葉は気づかせてくれた。今年受験生の私にとって集中して授業に臨むことができる環境が整っていることは、とてもありがたいことだ。それなのに、家では当たり前のように涼しい部屋での生活をしていたために、私は気づかなかったのだ。教室に設置されたエアコンは、たくさんの人が一生懸命に働いた努力の結晶により設置されたものなのだと。

 考えてみれば、私の身の周りにエアコン以外にも税金が利用されているところはたくさんある。学校の机、椅子、教科書、風邪をひいたら中学生までは無料で医者に診てもらうことができる。他にも、夏の風物詩であるお祭りや道路工事、救急車を呼ぶ時など、数え切れないほどだ。それらの税金の使い道は全て、私たちの生活を豊かにしたり、安全を守ってくれるものだ。つまり、私たちの暮らしは税金によって支えられているのだ。

 税金は悪者だ。そう思っていたころの私は、多くの場面で税金に支えられていたにもかかわらず、「払った税金」のことばかり見ていた。しかし、今は母の言葉を聞き、「払った税金」ではなく、「帰ってきた税金」のことも考えるようになった。日本中の人々が買い物で払った税金、頑張って働いている人々が納めた税金は、姿を変えて、今この瞬間もたくさんの人の暮らしを支えている。そうして税金というのは私たちの生活に帰ってくるのだ。涼しく快適な空間を生み出してくれる、あのエアコンのように。