我が家の母子手帳は、金庫に納められている。それだけ、母にとっても私にとっても大切な宝物なのである。お腹の中で芽生えた新しい命への最初のプレゼントは、母子手帳であった。やがて、ワクチンや健診を当たり前のように無料で受け、整備された安全な遊具で母の押すブランコに揺られ、真新しい教科書を涼やかな教室でめくり、医療費は、いつだって無料だった恵まれた学生生活。
三年間、税金の作文を書き続けた私も、この冬卒業となり、中学生生活最後の夏となった。だからこそ、これまでの十五年間の歩みを、ゆっくりじっくり考えてみた。
私は、幼稚園から今現在に至るまで、無欠席無早退を貫いている。休んだ事は、ない。その一つの理由として医療費が無料だった事があげられる。母は、中学課程まで無料のこの熊谷市の制度に深い感銘を受けている。急な頭痛や高熱、風邪で声も出なかった時、いつだって病院に無料でかかれ、その上適切な薬まで頂けるのだから。母の子供時代には家庭環境の為に、保険証すらなく、医療費が払えず、学校を長期休暇する人は沢山いたのだと言う。まさに自力で治す野生の精神。
「何ていい時代なのかしらね。」
病院での帰り道、母は決まってそう言う。この健康な体は税金での支えあってのものであり、私の何よりかえがたい誇りと勲章である。母子手帳には、そんな私の健康履歴書がギッシリとつまっている。
思えば人間は、この世に生を受けてから、その命の炎が消えるまで、税金によって支えられ、与えてもらって天寿を全うするのだと思う。どんな時にも、どんな生活環境の人にも平等に医療サービスが受けられるのは、当たり前のようで、なかなかできない事である。市で配布されるガン検診クーポンで命拾いをした私の知人のおばさんは、その天国と地獄の境目を目の当たりにして一病息災で、更に健康に気をつけるようになったのだと言う。おばさんが言うには、人は命拾いして初めて見えてくる物が沢山あるのだそうだ。ふと周りを見渡すと、幼い頃揺られたブランコは、新しく頑丈に。薄暗く入るのも敬遠していたトイレは、子供にも入り易い水洗便座に。ひび割れていた道路は舗装され水平に。税金の恩恵は、当たり前として人々の生活にひかえめに埋もれているのだ。
将来子供を生み、私が母となる時代にも、こうやって子供とお年寄りに優しい日本であってほしい。その為には、深刻な少子化について日本人全員で今一度考え直さねばならない。人が人を産み、人が税金を納め、人が人を支え、人が日本を潤す。自国民を増やしていかねば、個々の負担は増大していく。母子手帳を手にしたときの感動を、一人でも多くの女性に味わってもらいたい。熊谷を埼玉を、日本を支えて行くこれからの未来は、私達の世代に託されている。改めて責任を痛感した。