命、そして、未来へ

 「今、救急車来るからね。大丈夫だよ。」

早朝、我が家に響いた悲鳴ともとれる声…。

 祖母は一年前、脳梗塞を発症し右半身の自由を奪われた。そればかりではない。突然意識を失い、強く痙攣発作を起こす。それが、脳梗塞の後遺症だと診断を受けたのは、二回目に救急車で病院に搬送された時だった。祖母は救急車に三回ほどお世話になっている。

 入院中も医療制度のおかげで負担は少なく、介護保険の利用で家の中には手すりが付き、お風呂には椅子まで設置された。こうして慣れた自宅で生活を送ることができている。

 僕も医療制度のおかげで健康そのものである。幼稚園の時から現在に至るまで無欠席を貫いている。その理由のひとつとして、佐野市では、中学校の過程が終了するまで、かかった医療費は全額無料だからである。そのため、中耳炎を患う僕は、少しの痛みでもためらうことなく病院に行くことができるのだ。

 このように、税金は生活を営んでいく上で基礎となるもの全てに形を変え、僕たちを支えてくれていたのだ。

 何気なくつけたテレビの特番で「税」についての説明をある経済学者がしているのを耳にした。祖母は普通に、しかも、当たり前のように救急車にお世話になった。しかし、アメリカは税金で補われないため、多額の費用がかかることが分かった。その説明に耳を傾けながら、改めて「税」について考えてみた。

 まず浮かぶのは、教科書、図書館の本、福祉、介護。そして、東日本大震災や福島原発事故に係る災害救助や復興支援である。

 復興支援といえば、平成二十五年に「復興特別税」が施行された。復興特別税とは、東日本大震災からの復興に必要な財源を確保するための日本の税金である。平成四十九年までの二十五年間にわたって納めるのだ。

 東日本大震災から五年経ち、かなり復興された。でもそれは、道路を始めとする交通網であり、住宅については復興されているとは到底言えない現状である。二十五年間とは果てしなく長い期間だと思った。けれど、継続して支援していくためには決して長いとは言い難い期間なのではないかと考えを改めた。

 祖母の療養の基盤となったり僕の健康が継続できたりしたのも、先人が果たしてくれていた納税という名の貯金があったからこそだ。

 命は税金によって優しく包まれ守られていた。当然のように生活できる社会は、税金があってはじめて成り立つ温かい社会だったのだ。同時に、与えていただいた恩恵に感謝し、維持、発展させていくことが、未来の日本を託された僕たちの責務なのではないかと思う。

 税金とは、心豊かな社会を築く上で必要不可欠で、未来へと続く丈夫な架け橋である。

 僕は、納税の義務をきちんと果たし、社会の発展に貢献できる大人を目指しながら、日本の未来を象徴するかのごとく輝く架け橋を眩しいほどの朝日とともに渡っていきたい。