「お願いします。どうしても、最期に満開の桜が見たいんです。」
祖母は、泣きながら主治医にそう言いました。私達家族も思いは同じだったので、祖母と一緒に「お願いします」と頭を下げました。
祖母が急性骨髄性白血病と診断されたのは三年前の秋でした。余命告知をされたのに、祖母は
「コロっと死にたかったから丁度よかった。」
「抗がん剤は嫌よ。もう十分生きたから、このままあっちに行くわ。」
などと笑っていました。しかし私は嫌だと言わずに抗がん剤治療を受けて一日でも長生きして欲しいと思っていました。その時
「抗がん剤を使用すると、薬代が一カ月で百五十万円くらいかな。」
という主治医の呟きを祖母が聞いてしまっていたことを私は知らなかったのです。
祖母の体調は悪化し、通院治療が入院治療に変わったのは年末でした。祖父と母が改めて
「本当に抗がん剤治療をしなくていいの?」
と聞くと
「だって、お金なくなっちゃうじゃない。」
と本音をもらしたのです。再度、主治医に本人が抗がん剤治療を受けたいと言っていることを相談したところ、日本には「高額療養費制度」という仕組みがあり、七十歳になっていた祖母の場合は、どんなに医療費がかかっても一カ月の支払いは五万円程度で済むと教えてくれました。その話を聞いていた祖母は
「それならお願いします。春まで生きていたいんです。最期に満開の桜が見たいんです。」
と涙を流しました。
祖母は抗がん剤治療を受けることができました。その結果、車椅子ではありましたが、荒川の土手で満開の桜を見ることができたのです。私達家族にとっても、一生忘れられないお花見ができました。葉桜になった頃、祖母は息を引き取りました。
海外には「お金がないと医療が全く受けられない」という国もあります。それはお金がないと助かる命も助からないということです。幸い、日本で暮らしていた祖母は高額療養費制度のおかげで最期の希望を叶えることができました。それまでは「社会福祉に莫大な税金が必要である」と聞いても、しっかりと理解できていませんでした。しかしそれは、病気になってしまった人、ケガをしてしまった人が社会や家庭に戻るため、または最期まで希望をもって病気やケガと戦っていくために必要なお金だったのです。みんなが納めた税金がそんな素晴らしい使われ方をしていることを恥ずかしながら初めて知りました。
困っている人を見捨てない国、最期まで希望をもって生きられる国。私もそんな国をささえる大人になりたいと強く思っています。